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日本経済発展には大学の役割が重要 学生に夢を与え生きた教育を!(2−2)

2009/11/18

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 □特別講演 カリフォルニア大学サンタバーバラ校 中村修二教授

 ■不撓不屈の精神で世界一に

 私は徳島大学工学部から大学院に進み、修士号を取得し、教授の紹介で日亜化学工業に就職しました。そこで赤色発光ダイオードの原料を作っていたため自然とその世界に入りました。原料のガリウムリンはガリウムと赤燐(マッチの原料)を透明石英に真空封止し、電気炉に入れて反応させて作りますが、反応中に時々爆発が起こります。月に1回は爆発で白い煙が上がり、研究室は悲惨でしたよ。3年で製品化しましたが、既に大手企業が販売していたので売れませんでした。当時は私しかいないので研究開発、製造、品質管理、営業販売と全部やりました。

 次にガリウムヒ素を製品化しようとしましたが、これも爆発です。今度は宇宙服を着て研究しました。これも3年で製品化し、自分で売りました。最初の6年間は朝から晩まで透明石英の溶接ばかり。夏なんて2000度Cで溶接ですから蒸し風呂状態です。当時は夢も希望もなかったですね。同窓生は大手企業に就職し、研究所で働き、海外の学会で発表している。私は恥ずかしくて何も言えなかったです。彼らは今、永遠のサラリーマン。もうすぐ定年後を考えなくてはいけない。アメリカは年齢差別になるので、定年はありません。大手企業なんか行かない方がいいですよ。

                 ◆◇◆

 10年間に3つの製品を開発しましたが売れず、会社を辞めろと言われました。それなら辞める前に青色と緑色の発光ダイオードの研究をしようと思ったわけです。もともと入社当時から青色発光ダイオードの研究をしたかったのですが反対されました。当時世界中の大企業、大学で青色発光ダイオードの研究をしており、日本の大手家電メーカーも1社あたり年間50億、100億の研究費を使っていましたから当然です。

 結局入社10年目に社長に直談判して承諾をもらい、結晶成長の研究のため海外の大学に1年間留学しました。大学ではドクターコースの学生と一緒に研究しましたが、私はドクターを持っていなかったのでテクニシャン扱いでした。私は10年間の経験があるから何でもできてしまう。若い彼らは何もできない。アメリカではドクターでないと一生科学者の裏方です。その怒りがエネルギーとなり、帰国してから論文博士を取ろうと考えました。当時青色発光ダイオードの研究では、セレン化亜鉛を使った研究論文が山のようにありました。一方、窒化ガリウムを用いた研究は数グループ。そこで私は窒化ガリウムを選んで研究すれば論文が書けると思い、窒化ガリウムを選んで青色発光ダイオードの研究を開始しました。

 会社から市販の結晶成長装置であるMOCVD装置を2億5000万円で買ってもらい、窒化ガリウムの結晶を作りましたが、うまくできない。そこで悩んだ結果、そのMOCVD装置を改造しました。過去10年間そんなことばかりやっていましたから、それが結果役に立ちました。1年ちょっと続けたら新奇なMOCVD装置の開発に成功し、世界一高品質な窒化ガリウムの作成に成功しました。社長命令で禁止だった論文もこっそり書き、特許も書いて出しました。当時日亜化学の特許数は年間ゼロ。2〜3年に1件がせいぜい。それが90年の10月から99年末に辞めるまでの10年間で特許が4〜500件になりました。誰も論文を読まないからばれなかった。しかし大阪支店に大手の研究所から電話があり、結局ばれました。しかし特許を取っていたおかげで製品化できました。

 95年には紫色の半導体を発明し、これはブルーレイDVDとして役立っています。96年には緑色発光ダイオードも作りました。それに従い役職も上がり、昇給。しかし定年まで考えると退屈になり、会社を辞めようと考えるようになりました。99年の終わりにUCLAから誘いがありまして、アメリカの知人に相談したところ、気候も治安もいいカリフォルニアがいいと勧められ、大学での研究内容も考慮してサンタバーバラに決めました。結局2000年に会社を辞めてアメリカに移りましたが、会社の「秘密保持契約」にサインしなかったため、米国で企業秘密漏えいの疑いで、2000年末に訴えられました。そこで私も2001年に会社を日本で訴えました。特許権は発明者にあり、企業ではありません。たとえ特許権を会社にあげますという契約書にサインをしても、その見返りとして発明者にそれ相当の対価を払わなくてはいけないのです。

                 ◆◇◆

 この特許法は日本とドイツだけ。その特許法に従って、日本で会社を訴えてからは日米両方で裁判ですよ。アメリカでは被告、日本では原告、3年間必死でした。そこで感じたのはアメリカと日本の裁判の違いでした。アメリカは証拠書類をすべて出して真実を追究します。それが終わったら証人尋問です。真実を話さなかったら偽証罪。日本は証拠書類一切出さなくていい。まずい証拠書類は焼却処分OK。証人尋問もないに等しい。日本の裁判は、どちらを勝たせたら、どれだけ多くの人が利益を被るかを考えて判決を出します。これを利益均量と言います。正義と悪を考慮して判決は出しません。アメリカは被告、原告、裁判官、弁護士が法廷で激論します。日本は法廷では書類を出すだけで激論なし。ある日突然裁判官が判決を読むのです。私の裁判は知的財産の裁判ですよ。文系の裁判官が資料を読んで理解できたのですかね。

 裁判結果は東京高裁で和解勧告でした。青色発光ダイオードの貢献は認める。しかし発明者に巨額な対価を払えば企業の存続があやぶまれる。だから6億円で和解しなさいと。あきらかに利益均量です。日本の裁判では正義はどうでもいいのだと痛感しました。

                   ◇

【プロフィル】中村修二

 なかむら・しゅうじ 科学技術者。1977年徳島大学工学部電子工学科卒業。79年同大学院修士号取得、日亜化学工業株式会社入社。窒化物系材料を使用した発光デバイスの研究開発に取り組み、93年高輝度青色発光ダイオード(青色LED)の世界初の実用製品化に成功。94年徳島大学大学院博士号取得。その後も、95年青色半導体レーザーの室温発光に成功、96年紫色半導体レーザーを実現するなど数多くの業績を残している。99年日亜化学工業を退社し、2000年には米国サンタバーバラ校工学部教授に就任。現在、カリフォルニア在住。55歳。愛媛県出身。 

                  ◇

【プロフィル】山本英夫

 やまもと・ひでお 創価大学学長。1967年東京大学工学部化学工学科卒、同大学院博士課程修了(工学博士)。東大工学部助手、同講師、生産技術研究所助教授を経て、91年創価大学工学部教授、2003年工学部長、07年4月から第4代創価大学学長。専門は化学工学、粉体工学、静電気応用工学、環境化学工学。66歳。東京都出身。

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