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オリックス会長・宮内義彦氏(1)

2008/12/23

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3歳のころ、自宅近くの公園で
3歳のころ、自宅近くの公園で

 ■貨物船で渡米、必死に勉強

 宮内家のルーツは愛媛県松山。私は1935年、神戸市で生まれた。人生最初の記憶は谷崎潤一郎の「細雪」にも描かれている阪神風水害だ。六甲山系の氾濫(はんらん)した川に大きな石がごろごろと流れてくるのをこわごわと見たのを覚えている。ただ3歳の時だったので、記憶の中の映像はその後に見た映画のシーンと混然となっているのかもしれない。

 終戦は小学4年生の時、家族で疎開していた兵庫県佐用町で迎えた。同世代の誰もが感じたように、世の中の価値観は一変するものだと肌身で悟った。佐用町には小学6年生までいて、私が関西学院中学部に入学したのを機に家族もまた阪神間に戻った。

 当時の関学中学部では、熱心なプロテスタント教育が行われていて、私にはそれがとても新鮮だった。その教えは、自らの良心に恥じるところがなければいいという考え方だ。日本人は世間がどう思うかを価値基準にするが、キリスト教の場合は神様がどう思うかだ。私はクリスチャンにはならなかったものの、子供のころに受けた宗教教育は、いまだに自分の心構えにも影響していると思う。

 同級生で関学前理事長の山内一郎君らと中学の時から伝統あるグリークラブ(男声合唱団)に所属。大学まで熱心に練習し、全国合唱コンクールでの優勝も経験した。今でも中学時代の仲間が集まり合唱している。毎回、2時間の練習をしてから、待ってましたとばかりに乾杯する。年に1、2回の旅行もする楽しい仲間たちだ。

 58年、米シアトルにあるワシントン大学大学院に留学した。外貨の持ち出しが禁止されていて留学したくてもできない時代だったが、父が米材輸入を手がけていたおかげで、アメリカに友人がいたことからチャンスを与えられた。当時は行きも帰りも貨物船だった。私は米材を輸入するための1万トン程度の船に乗り、片道2週間の長旅を体験した。シアトルに着き、ハイウエーをクルマがビュンビュンと走るのを見て、アメリカの豊かさにびっくりした。

 ワシントン大では2年間、ほとんど寮と教室と図書館を往復するだけの毎日を過ごした。必死に勉強しないとついていけない状況だったため、卒業できた時は心底ほっとした。おかげで、日本のワシントン大MBA(経営学修士)同窓会では最長老だ。同校の後輩には昭和シェル石油会長の新美春之さんがいる。もっとも、息抜きのためにグリークラブに入ったり、仲間とのパーティーに顔を出したりもした。夏休みには大陸横断鉄道で観光することもあり、ひと夏はワシントンDCに滞在した。シアトルでは、留学していた家内の伸子と出会い、帰国後の62年に結婚した。

                   ◇

【プロフィル】宮内義彦

 みやうち・よしひこ 1960年、日綿実業(現双日)入社。64年、オリエント・リース(現オリックス)入社。80年に社長、2000年4月から会長。73歳。

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