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オリックス会長・宮内義彦氏(2)

2008/12/24

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創業当時の(左から)乾恒雄氏、宮内氏、ヘンリー・ショーンフェルド氏
創業当時の(左から)乾恒雄氏、宮内氏、ヘンリー・ショーンフェルド氏

 ■創業の先兵として米国でリース業学ぶ

 アメリカ留学から帰国した1960年8月、大阪市に本社があった日綿実業(現双日)に就職した。当時としては珍しい中途入社ができそうな会社として、他の商社も含む4社にめどをつけておいたのだが、日綿では試験を受けたその日のうちに「すぐ来てくれ」と言われたためだ。

 調査部を経て社長室勤務となったあとの入社4年目に転機が訪れた。日綿と三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)が中心となって、今のオリックスとなるリース会社をつくる計画が浮上。提携先の米国リース会社、USリーシングで社員を研修させることになり、私に白羽の矢が立ったのだ。

 63年の暮れにサンフランシスコに渡り、3カ月間、猛勉強した。教育係は、USリーシング創立者の一人で当時副社長のヘンリー・ショーンフェルドさん。サンフランシスコ育ちとあって日本びいきの人で、リース業はもちろん、酒の飲み方に至るまで、私を叱咤(しった)激励しながら一生懸命に教えてくれた。彼とは亡くなるまでずっとお付き合いした。また、後にUSリーシングの社長となるネッド・マンデルさんともこの時分に出会った。彼には今に至るまでオリックスの米現地法人のアドバイザーをお願いしている。

 64年4月に設立されたオリエント・リース(現オリックス)は、三和銀行系商社の日商(現双日)と岩井産業(同)も出資し、いわばライバル3社が一つの事業をする初のケースだった。社員は各商社の機械本部からの出向者が中心。最年少の私は、手形で商売をしてきた人たちに、契約書上の債権がリース取引の基本になるなどとお教えする立場となった。日本が高度経済成長期に入り、工場などの機械設備やコンピューターをはじめ事務機などへのリース需要が高まる中、当初は株主商社の協力を得て徐々に取引を増やし、次いで独自の営業網で市場を切り開くようになった。

 そんな寄り合い所帯を率いたのが、三和銀行取締役ニューヨーク支店長から新会社の副社長に転じた乾(いぬい)恒雄さんだ。3年後に社長に就任する乾さんは当時から事実上のトップで、最初から自主独立の気持ちを強く持っておられた。企業は公器であり、経営者はそれを大事に育てなければいけない。そのためにも株式上場をしないといけないと考え、設立6年後の70年に大証2部上場にこぎつけ、翌年に東証2部にも上場した。

 明治の男らしい頑固さと洒脱(しゃだつ)な面を併せ持った人で、いったん決めたら絶対に曲げない。早い時期に社員を自主採用に切り替え、営業でも独自路線を貫くなど、株主の意には反するかもしれない難しいことを次々と実行された。海外畑出身だけに海外市場にも早くから目を向けていた。今、オリックスは26カ国に拠点を構えているが、それも乾さんに尻をたたかれながら広げてきた結果だ。

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