オリックス会長・宮内義彦氏(3)
2008/12/25
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![]() オリックス・ブルーウェーブ(当時)がパ・リーグ2連覇し、ナインに胴上げされるオーナーの宮内氏=1996年9月、グリーンスタジアム神戸 |
■M&A駆使し多角化と国際化進める
私がオリエント・リース(現オリックス)の社長に就任したのは1980年12月、45歳の時だ。前任社長の乾(いぬい)恒雄さんには40歳を過ぎたころから「君が全部見てくれ」と言われ、社長業の訓練を受けてきた。ただ、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)など株主側の了解を得るのに数年を要したようで、私としては心の準備はできていた。
2000年までの20年間にわたる社長在任中、最初の10年ぐらいは今考えると比較的楽な経営ができた。茜(あかね)証券(現オリックス証券)を買収するなどM&A(企業の合併・買収)を駆使して、乾さんがやってこられた多角化と国際化を引き続き推進し、リースを通じて「金融」と「モノ(物件)」に関するノウハウと実績を蓄積してきた。特に、海外展開は毎年1カ国ずつぐらい拡大し、アジアのネットワークが生まれた。
しかし、バブル崩壊後と重なる次の10年間は本当に大変な思いをした。それでもオマハ生命保険(現オリックス生命保険)や山一信託銀行(現オリックス信託銀行)の買収などM&Aの手は緩めず、インド、中東など海外への進出も加速することができた。会長就任後から国内景気も回復に向かい、ようやくホッとしたところに、今回の米国発の金融危機が起きた。再び大変な思いをしているところだ。
印象に残るのは88年の阪急ブレーブス球団(現オリックス・バファローズ)の買収だ。当時、オリエント・リースからオリックスに社名を変えることにし、記者発表したが、新聞のベタ記事にしかならなかった。球団を売るという話が舞い込んだのは、その1カ月後。当時の乾会長をはじめ幹部の全員が買収に賛成し、すぐに飛びついた。プロ野球の結果は毎日、ニュースで報じられる。おかげで「オリックス」は一夜にして有名になった。
98年9月のニューヨーク上場も印象深い出来事だ。当社はもともと日米合弁の予定で設立されたので、当初から米国会計基準に基づく連結財務諸表を作成し、早期の上場を目指していたが、バブル崩壊後の市場環境悪化で先送りとなっていた。上場当日は、まさに金融危機のさなかにある日本の金融会社が上場したということで、現地では大いに注目された。
仕事を離れては85年に、当時、日本経済新聞社の部長だった吉村久夫さんと相談して、35(昭和10)年生まれの経済人を中心とする「初亥(はつい)会」を創設。業種を超えた経営者同士の情報交換と親睦(しんぼく)を兼ねた集いを続けてきた。
初亥会のメンバーは多士済々で同じ年齢ながら、仕事ではかかわりが少ない者同士だ。年に数回の食事会と夫妻連れの旅行会などを楽しんでいる。
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