クオンタムリープ代表・出井伸之氏(1)
2008/10/28
![]() 【プロフィル】出井伸之 いでい・のぶゆき 1960年、ソニー入社。95年に社長、2000年に会長、05年に最高顧問を経て、現在、アドバイザリーボード議長。06年にビジネス開発・支援会社のクオンタムリープを設立し代表取締役就任。03年から4年間、日本経団連副会長を務めた。 |
■経済学者の父と似た道歩んだ思い
1937年、早稲田大学教授で、欧州経済を専門とする経済学者だった父、盛之(せいし)の次男として生まれた。父については、蛍光灯の下で本の中に埋もれている「おやじの背中」ばかりが思い浮かぶ。
私はソニーの社長、会長を通算10年務めたが、今にして思えば、職業は違うにしても父と同じような道を歩んだように感じる。というのも、経営者にしても大学の先生にしても、仮説を作って実証するという過程が同じだからだ。社長が立てる「事業戦略」という仮説が間違っていれば、経営は失敗することになる。経営者も先生も、自分のノウハウを惜しげもなく部下や生徒に教える商売であるという点も共通している。
父は経済界との親交も広く、後に経団連事務総長などを務められた三好正也さんら、さまざまな人が自宅に出入りしていた。家にあった父の専門書を手にしたり、父と友人の議論を耳にしたりして育つうちに、自然と「世界の中の日本」という視点が備わったように思う。
私もソニーに入った時は「カンパニー(企業内)エコノミスト」を目指す気構えだった。もっとも父は、私がサラリーマンになることを嘆いていたようだ。
国際的なセンスという点では、私が生まれる前に早世した兄にも影響を受けた。外交官志望で、外交戦略などが書かれた遺品のノートを読んでコンプレックスを感じたものだ。兄は私にとっての「永遠のライバル」だった。
育ったのは東京・成城で、今もこの地に住んでいる。自由な雰囲気の土地柄で、母校の成城学園も「教えられる」というより「自分で課題を解決する」という教育スタイルだった。
小学校、中学校と楽器をたしなんだ。2年先輩に世界的指揮者の小澤征爾さんがいた。中学時代、私がバイオリンで、彼がピアノを担当するカルテットを組んだこともある。小澤さんはラグビーで指をケガしたので、指揮者の道を選ばれたようだ。ソニーは組織で世界に出ていったけれど、小澤さんは個人で外に出ていって成功を収められた。指揮者は「楽団をマネジメントする」という点で経営者と似ているところがあり、今でもお会いすれば話が弾む。
高校から早稲田の門をくぐった。バンカラな雰囲気は成城とは正反対だったが、高校に大学の先生が教えにきてくれるぜいたくな授業だった。
大学は政治経済学部に進んだ。学生時代を通じていい友人、いい先生に恵まれた。今でも年に数回は当時からの友人と食事をする。ソニーの社長や会長になっても、彼らの誰も私を特別扱いしなかった。名前も呼び捨てで一個人として付き合える友人の存在は、企業トップの目線をニュートラル(中立)に近づける上で重要だったと感謝している。

