フジテレビジョン賞

『Camera Sicknessによるヒトへの微少時間の影響の研究』

 香川医科大学
 医学部医学科 2年 鴫原 良仁 さん



1.基本概念

 16世紀ごろの生命・ヒトの解剖学的研究は、裸眼に依存していた。このころの研究の対象は、2×10−3 m以上のサイズの構造であったとされる。 
 その後、レーウェン・フックにより光学顕微鏡が発明され、よりミクロレベルでの研究が行なわれるようになった。研究の対象もより微細化され、1×10−7 m程度までの観察が可能となり、細胞内小器官が、その研究対象に含まれるようになった。19世紀までには、全ての複雑な器官が、「細胞」と呼ばれる半独立のユニットによって構成されている事が、はっきりしてきた。
 今日の解剖学には、電子顕微鏡も用いられ、研究対象はさらに小さなスケールの、1×10−9m程度まで下がった。これに伴ない、細胞内小器官の内部構造をも観察可能となり、研究はかなり微細領域へとシフトした。
 同様の傾向は、生理学にも見られる。生理学より生化学が生まれ、生化学より分子生物学が生まれるにつれ、研究対象はどんどん微細レベルになった。今日の生理学は、細胞内でのシグナル伝達や細胞膜上のレセプターそのものをも研究対象とするようになった。
 これらの微細化の流れは、言うまでもなく有益で、これに伴ない多くの重要な新事実が解明された事に、疑う余地はない。
 しかし同時に、生命・ヒトを知るために始まった微細化の動きは、研究対象を「個体としてのヒト」から外してしまった事も、また事実である。
 ヒトは細胞によって構成される。また細胞は生きている。細胞一個一個は、ヒトをヒトならしめる全ての遺伝情報を持つ。しかし、細胞一個はヒトではない。
 細胞は集まり、組織を構成する。組織は生きているが、ヒトではない。再生医学の分野では、組織を人工培養し、治療に用いられているが、その組織をもって、ヒトと呼びはせず、それゆえ、実験室でヒトを培養したとは言わない。
 組織は集まり、臓器を構成する。臓器は生きているが、ヒトではない。だからこそ、臓器移植も人工臓器も可能とされる。
 では、どこからがヒトで、どこからがヒトではないのか。この問題は、容易に答が出るものではないので、ここでは取り扱わない。

 上の様に「空間」に適用した同様の理屈が、「時間」に対しても当てはまる。
 ヒトは他の動物同様、サーカディアン・リズムを持つ。甲状腺ホルモンや松果体のメラトニンの日内変動は有名である。
 女性の性周期は、28日周期とされる。
小児の発達やヒトの老化の問題を考えると、年、十年、五十年の長いスパンの周期の存在も考えられる。
サーカディアンリズム以上の長さの、周期の存在は容易に想像できる。
 では、より短い周期の存在はどうだろうか?

 細胞膜のレセプターの動きは、nsec のorder の出来事である。
 しかし、細胞膜のレセプターはヒトではない。
 神経細胞の興奮や、シナプスでのイベントは、10 nsec もしくはその周辺のorder の出来事である。しかし、神経細胞はヒトではない。

 ヒトは1秒間隔で起きた二つの事象の前後関係は認識できる。
 しかし、1/100秒間隔ではどうであろうか?
 網様体賦活系が、網様体から大脳皮質へ送るパルスは、60-80Hzとされる。
「大脳が起きている」事と、「ヒトが意識を持つ」事と、「ヒトが人間である」事が同意かどうかは異論があるが、仮に同意だとするならば、この事から、ヒトが人間であるためには、少なくとも1/60〜1/80 sec ( 1.3×10−2 〜1.7×10−2)以上の時間間隔が存在する必要があると推測できる。
 また、ヒトには50 Hz で点滅する蛍光灯が連続光に見える事から、少なくとも視覚処理系は0.02sec 以上の分解能は持たない事が予測される。
 さらに、前庭機能喪失患者と体性感覚系の機能喪失患者でのストロボ光の照射実験により、視覚による立位保持には、少なくとも17Hz以上の周期での視覚入力が必要である事が分かっている(1)。(Paulus et al.1987)この事から、視覚・平衡感覚系には、0.05 sec 強付近に何らかの臨界時間が存在する事が伺える。
 また、同時間レンジ(100 msec前後)においては、視覚において逆行性補完 (時間的に後の視覚情報が、前の情報を補正する)事が見られる(2)。(下條信輔:California Institute of Technology)
 これらの事から、この時間レンジでは時間的な前後関係が必ずしも、通常の我々の意識とは一致しない事が分かる。
 では、「ヒトがヒトもしくは人間たるための最小時間間隔」(以下、「臨界ヒト時間」とする)とは、具体的・定量的には、いったいどのくらいの時間間隔なのだろうか。


2.技術的課題

 日本で用いられているテレビやビデオ(含ビデオカメラ)には、NTSC方式が用いられている。この方式では、画面1コマを1 / 30 secとして表示している。また、1コマは二つのフレームで構成される事から、機器の内部処理は1/60 Hz で行なわれる物が多い。
 このため、テレビやビデオの技術にとって、10〜100Hz(0.01〜0.10 sec)とは、技術的に重要な領域である。
しかし同時にこの領域は、前述の通り、臨界ヒト時間と同じ時間レンジに入る可能性がある。
いわゆる「ポケモン事件」の原因が、約10Hzのストロボ光の刺激によるともされる。
 仮に臨界ヒト時間が、同じ時間レンジに存在し、この時間間隔より長い事象と短い事象の脳内処理機構が異なる場合、そのような時間レンジの刺激が、脳内処理機構に悪影響を与える可能性は否定できない。

 近年のコンピュータ技術の急速な進歩に伴ない、今後、様々な分野で、シュミュレータ技術、VR技術が利用されると考えられる。
その制御を行なうのは、コンピュータである以上、処理の最小時間が存在する(以下base clockとする)。(現在のNTSC方式では0.03sec)
 もし、前述の様に、臨界ヒト時間と、機器のbase clockが近接した場合、脳に悪影響を及ぼす、もしくはその可能性があるならば、今後のシュミュレータ技術、VR技術は、該時間間隔を避けて開発する必要がある。

 技術的には、base clockを安易に上げる事は、コストその他の面から得策ではない。そこで、現在のbase clockで危険が無いならば、将来的に、当面この見直しは行なわれないであろう。
 しかし、害があるもしくはその可能性があるならば、多少のコストの問題があっても、変更する必要がある。
では、そもそも臨界ヒト時間のオーダーは、どの時間レンジなのか。
VR技術が急速に発展を始めつつある今の段階で、これを特定する事は、きわめて重要である。


3.臨床応用の可能性

 近年日本でも、ようやくPTSDに関する認識が成されるようになってきた。
PTSDとは、Posttraumatic Stress Disorder の略で、日本語では「外傷後ストレス障害」と訳される。
 PTSDは、災害、戦争、交通事故、犯罪の被害等、強烈なダメージを受けた後に残る後遺症である。
日本では、阪神大震災、サリン事件、O157等でその存在が知られるようになった。
この治療方法として、近年注目される治療方法に、EMDRがある。
 EMDRとは、Eye Movement Desensitization and Reprocessing の略で、眼球運動や他のリズミカルな刺激の組み合わせを患者に与える事で、長期にわたるトラウマを緩和する手法である。(3)
 EMDR の有効性は高く、レイプ、戦争、失恋、事故、普通の疾患等への個人的な恐れを扱ったセッションにおいて、84-90%で、三回のセッションで PTSDを無くしたとされる報告がある。(4)
その有効性にも関わらず、EMDRが如何にしてPTSDに作用し、これを緩和するかについては、諸説あるものの、現在のところ不明である。
 我々は、このEMDRが、数Hzもしくはそれ以下の周期的刺激を利用する事に注目した。EMDRが有効である事から、これらの低周波領域の周期刺激が、従来我々の知り得なかった影響を脳に与える事が推測される。
 今後さらに、PTSDが注目を集め、それに伴ないEMDRの重要性が増す事が予想される。それゆえ、この低周波領域の脳に与える影響を研究する事は、現在の急務である。


4.Camera Sickness とは

近年のビデオカメラは、小型軽量化が進み、これにより撮影者の手ブレによる、画面の揺れが問題視されるようになった。
そこで、近年発売される家庭用ビデオカメラのほとんどは、この撮影者の手ブレを電気的に補正し、安定した撮影画像を得るための「ブレ補正装置」を具備している。
 鴫原は、香川医科大学医学部医学科の学生となる以前、某家電メーカーの技術者として、ビデオカメラのブレ補正装置の開発業務に関わっていた。
 その開発業務において、ブレ補正装置を具備するビデオカメラを用いて撮影を行なうと、該装置を具備しないビデオカメラ使用時には見られない、特有の「酔い」が、撮影者に見られることを発見し、これを"camera sickness"(「カメラ酔い」)と命名した。


5.Camera Sickness の実験方法

 実験により、全てのブレ補正装置を具備するビデオカメラが camera sickness を誘発する訳ではなく、camera sicknessを誘発しやすいビデオカメラには、そのブレのスペクトルに特徴があることを発見した。

 そこで我々は、任意の周波数で振動する画像を生成できる望遠鏡を開発(図1.)し、これを被験者に覗かせる事で、ブレの周波数と、camera sicknessの関係を調べた。

「酔い」を定量化するための指標には、様々なものがあるが、本実験においては、「姿勢の不安定」さを用いた。

 実験に用いた望遠鏡は、ガリレオ式で、焦点距離は240mm、対物レンズを光軸に垂直に振動させる事で、振動画像を生る。
 周波数は0〜30Hzの間で設定可能であり、振幅は可変だが、本実験においては、原則として二倍振幅0.1度で行なった。

測定は室内で、蛍光灯照明下で行なった。
 被験者は立った状態で、被写体の視力検査用ランドルト環を、4.5m離れた地点より、望遠鏡を通して観察した。
 その際、被験者は、重心動揺計の上に立ち、この機械を用い、重心位置変化を測定した。(図2.)  重心動揺計には、日本光電のグラビコーダーを用いた。
二倍振幅0.1度とは、視力0.1用ランドルト環のに対し、およそその直径分の振幅に相当する。
 被験者は、正常な視覚、平衡感覚を持つ、48歳〜20歳までの男女、合計12名。
被験者は、重心動揺計の上に立ち、その状態で、一定周波数で、縦方向に振動する望遠鏡を手で持ち、被写体であるランドルト環を観察する。その際被験者には、片目で観測し、ある一つのランドルト環を画面中央に維持する気持ちで観察する様に指示を与える。

 この状態で、30秒間、重心位置の変化を測定した。次に、そのまま引き続いて、振動方向を横方向に変え、同じ周波数で、30秒間、重心位置の変化を測定した。

 なお、実験の方法として、望遠鏡を手で持つ方法を用いたのは、camera sicknessが、撮影者が手で、能動的に被写体を維持しようとする際に発生する事から、手のfeed back制御等の影響を、実験に反映させるためである。

 以上、縦・横振動、各一回の測定を1セットとし、周波数を変えながら、6〜12セットの測定を行なった。各セット間には、3分以上の休憩をはさんだ。

 測定の順番は、基本的には半数の被験者に対しては、5Hzより次第に周波数を上げながら、残る半数の被験者には、15Hzより次第に周波数を下げながら、測定を行なった。


6.実験結果

 まず最初に、典型例をグラフに示す。(図3.)
横軸には、望遠鏡の周波数を示す。右に行くほど、速い振動を意味する。
縦軸には、重心位置変化量を示す。重心位置変化量は、30秒間に移動した重心位置の範囲をcm2単位で表したものを、振動をしない状態と比を取ったもので、上に行くほど、重心が不安定になっていることを示している。

 グラフが示す通り、重心位置の不安定さは周波数に依存し、重心位置を不安定にする特定の周波数が存在する事が分かる。
 そこで、この現象をDeci-Second Instability略してDSI、そしてこのDSIがピークとなる周波数をDeci-Second Threshold略してDSTと命名した。

 また、図3に示すグラフでは、DSIは二つのピークを持つ、二相性の山を描く。
このような二相性の山は、全実験を通して、約60%に見られた。

 この場合、低い周波数のDSIを特にfirst DSI、その周波数をfirst DST、高い周波数のDSIをsecond DSI、その周波数をsecond DST、と呼ぶ事にする。

 この例では、縦振動のfirst DSTは7Hz、second DSTは 12Hz、横振動のfirst DSTは7Hz、second DSTで14Hzという事になる。

 なお、全ての実験で二相性のピークが見られたわけではなく、25%程の例では、first DSIは観測されず、単相性のピークを示した。(図4.)

 次に、被験者12名に対する、全実験の結果を示す。(表1.)


表1.に示す通り、first DST は縦振動とも8.3Hz、second DSTは縦振動で12.4Hz、横振動で12.1Hzになった。

 両者の差に関しては、被験者数の都合で、現段階では断定的な事は言えないと考える。

 また、同実験を通じて、その他、いくつかの事が分かった。
 第一に、DSTの前後では、被験者の身体の揺れのリズムに変化が生じる事が観察された。この事より、DSTの前後では、姿勢制御系が異なり、それゆえ、DSTでDSIが生じると推測される。
 第二に、被験者の証言によると、DSTよりも遅い周波数では、「視界がゆれている」という感覚があるが、DSTを超えると、「揺れている」という感覚が消失すると言う事を訴えている事から、DSTの前後で、視覚処理系そのものが切り替えられる事が推測される。

 ここで、「camera sicknessは、motion sickness(乗り物酔い)とは違うのか」という疑問が生じるが、motion sicknessを生じる周波数は2〜3Hz以下とされるので、camera sickness及びDSIとmotion sicknessの発生機序は異なることが予想され、両者は同一の現象とは考え難い。
 また、DSIの原因として、三半規管・耳石、動眼反射系が考えられるが、耳鼻科の眩暈の研究により、動眼系が影響するのは3Hz前後以下、三半規管・耳石系が関係するのは、早くても10Hzを超えないとされている。そのため、DSIの発生機序への直接の影響は小さいと考える。

 以上の事から、DSIはより高次の脳内処理機構に起因していると推測される。

 なお、電気眼振計を用い、実験中の眼振の有無を確認したが、眼振は確認されなかった。
さらに、照明の影響を考え、比較のため、太陽光線下で実験を行なったが、大きな差異は見られなかった。


7.まとめ

 前述の実験により、DSTの前後で、脳内の処理系、少なくとも、視覚・平衡感覚に関する系の一部が、切り替えられる事が推測される。
 すなわち、DSTよりも長い事象と、短い事象では、脳内の処理回路が異なるという事である。
 また、DSTを越える振動画像に対して、「動き」の認識が消失する事から、いわゆる我々が日常生活で感じている感覚の一部は、DST以上の時間間隔では成立しない事が考えられる。
 なお、この事を利用した、臨床診断装置に関しては、既に特許出願済みである。(特許出願番号:特願2000-209228)

 camera sicknessから得られる情報は、あくまでも、視覚・平衡感覚に関する脳内の処理系の一部の情報だけである。無論これをもって、臨界ヒト時間を議論する事は不可能であるが、少なくとも以下の事が言える。

第一に、現在のNTSC方式等の画像表示規格のbase clockは、DSTに近く、脳の処理系に悪影響を与える可能性が否定できない。
 そのため、新たな動画表示規格を作るに際しては、この事を考慮し、脳への悪影響が生じる可能性が低くなる様、設計する必要がある。

第二に、少なくともヒトの五感のうちの一つが、DST以上では正常に成立しない(動きの感覚が消失する)事から、臨界ヒト時間が決定できると仮定するならば、DSTに等しいか、それよりも長い時間間隔であると考えられる。

なお我々は、今後の展開として、DST付近の振動画像が、具体的には脳内のどの部位に、どのような現象を起こしているかを、PET(positron emission topography)を用い特定する事で、sub seconds のorder での、ヒトの性質を探る事を計画している。



参考文献

1)Thomas Brandt, VERTIGO, 診断と治療社(1994)
2)本田仁視, 視覚の謎, 福村出版
3)Francine Shapiro, Eye Movement Desensitization and Reprocessing, Guilford (199
4)EMDRIA home page

本研究の一部は、第52回日本生理学会中国四国地方会において発表した。


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